映画『いまを生きる』や『トレーニング デイ』など、数々の作品に出演してきた俳優のイーサン・ホーク(55歳)。先日、パームスプリングス国際映画祭でキャリア功労賞を受賞した彼は、スピーチで自身のキャリアを振り返り、亡き親友であるリヴァー・フェニックス(享年23歳)が与えてくれた影響について語った。

亡き親友リヴァー・フェニックスとの思い出

1985年公開のSF映画『エクスプロラーズ』でデビューを果たしたイーサン・ホークは、2026年1月3日(現地時間)、パームスプリングス国際映画祭でキャリア功労賞を受賞。『The Hollywood Reporter』によると、彼はスピーチでこれまで共に仕事をしてきた多くの仲間たちへの感謝を述べたという。

「確かに、キャリアの中心にいるのは自分かもしれない。でも、その土台には本当に多くの人たちが織り込まれている。私は一度も一人きりで何かを成し遂げてきたわけではないのです」
37th annual palm springs international film festival film awards
Kevin Winter//Getty Images

さらにイーサンは、映画『エクスプロラーズ』で共演した亡き親友リヴァー・フェニックスの名前を挙げ、自身がまだ13歳だった頃の思い出をこう語った。

「13歳のときのことを今でも覚えています。サンフランシスコ近郊のラディソン・ホテルに泊まっていて、窓から外を見ると、当時14歳だったリヴァー・フェニックスが、駐車場を行ったり来たりしていたんです」
「外に出て『何してるの?』と聞くと、彼は『役の歩き方を練習しているんだ』と答えて、何通りもの歩き方を見せてくれました。それまでの私は、“とにかくクールに歩く”以外の発想をしたことがなかった。ただそれだけしか頭になかったんです」
outdoor portrait of actor river phoenix, 1991.
Nancy R. Schiff//Getty Images
リヴァー・フェニックス。

イーサンは続けて、俳優として歩み始めたばかりの頃、互いにどのような影響を与え合っていたのかについても明かした。

「しばらく話をするうちに、彼がまだ本を一冊も読んだことがないと知って、私は『ライ麦畑でつかまえて』を渡しました。一方で、私はパンクロックを聴いたことがなかったので、彼はカセットテープをくれたんです。それに私は“ベジタリアン”という言葉すら知らなかった。すると彼は、屠殺場の実態や、それが環境に与えている影響を扱ったドキュメンタリーを見せてくれました」

「彼は今でも、そしてこれからも、私の中に生き続けています」

▼映画『エクスプロラーズ』の予告編

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Explorers original theatrical trailer (1985) [FTD-0145]
Explorers original theatrical trailer (1985) [FTD-0145] thumnail
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リヴァーとの別れから学んだこと

1993年のハロウィンの夜、ロサンゼルスの「ザ・ヴァイパー・ルーム」で薬物の過剰摂取により23歳でこの世を去ったリヴァー。2025年9月には、イーサンが『Entertainment Weekly 』とのインタビューで、“表現の世界で生きること”が伴うプレッシャーについて語る中で、若くして亡くなったリヴァーが、限られたキャリアの多くの期間において葛藤を抱えていたことを明かした。

イーサンは、「彼は、私よりもずっと早く成功を手にしていました」と語り、ロブ・ライナー監督の映画『スタンド・バイ・ミー』への反響を例に挙げ、同作がリヴァーのキャリアを「非常に若い年齢で一気に押し上げた」と振り返っている。

イーサンによると、リヴァーは「称賛を浴びているにもかかわらず、自分の表現を自分でコントロールできていない状況に、強い違和感を抱いていた」という。

river phoenix and wil wheaton in 'stand by me'
Archive Photos//Getty Images
リヴァー・フェニックスとウィル・ウィトン。

また、2020年11月の『The Guardian』とのインタビューでは、リヴァーの悲劇的な死を通じて、イーサンが俳優として地に足をつけて生きることの大切さを学んだと明かした。

「さっきの質問、なぜ私はより簡単な映画を作らないのかということだけど…。私の最初のスクリーンパートナーが、サンセット大通りで薬物の過剰摂取で亡くなったんです。彼はまばゆい光のような存在で、この業界は彼を飲み込んでしまった。それは私にとって大きな教訓でした」
「もし私がロサンゼルスに移らなかった理由を一つ挙げるとしたら、あの環境に自分のような俳優が身を置くのは、あまりにも危険だと思ったからです」